2018年5月15日火曜日

北岡和義のHPに移動します

これまでブログに書いてきた内容「ガンと生きる 北岡和義残命録」を北岡和義の公式ページ(http://kitaokanet.main.jp/)に移動します。すべてそちらで読めます。

2018年5月14日月曜日

児玉隆也の時代と

駆け出し記者だった札幌のころ同年だった友人からメールを貰った。彼自身もガンで難しい大手術を受けたが今は回復して元気である。
「児玉隆也が書いた本が面白いよ」という情報をメールでくれた。
その返事が以下です。
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貴兄のご教示ありがとうございました。

児玉隆也の『ガン病棟の九十九日』、アマゾンで取り寄せ読みました。驚いたことにこの書が書かれた1975年から43年経ったというのに患者の受けとめ方はほとんど変わりません。観察の鋭さ、巧緻な文章、奥さんとの会話などまさに名文家・児玉隆也の面目躍如でしょうが、結局、彼が書いていることは「ガンに魅入られた患者の死への恐怖」なのです。それを2018年の現在もぼくを含めたガン患者は笑い飛ばすことができません。

漠たる不安、忍び寄る死への怖れ、家族への気遣い・・・様々な制ガンの方途、ガン細胞発見の技術、最新の術式、制ガン剤の飛躍的進化などこの40年間に医学と医療技術は目覚ましい進歩をとげたというのに、です。事実、ガンに罹っても延命は著しく伸び、すぐ死ぬ人は少なくなってきました。ぼくに「ガンは治ります」「早く治ってまた一杯やろうよ」というメッセージを送ってきた知人、友人が少なくありません。でもガンは今も治らないんです。

ぼくが戸惑ったガン治療に対する疑念は児玉隆也が直面した「怖れ」「戸惑い」とほとんで変わっていない、ということです。ああ、これがガンなのか、とようやく理解するのに3~4か月を要しました。そして現在も解決方法はありません。副作用著しい抗ガン剤をただ飲み続けるだけ。止めたら「死ぬだけ」としか医師は言いません。

医師は医療技術の進歩を熟知していますし、ガンへ向き合ういろいろな制ガンの方途も昔に比べ飛躍的に開発されてきているのに現実に患者と向き合う時は「分かりません」と言い切ります。

確かに医療事故訴訟が増え、病院が必要以上に防衛的になっています。ですから「予見」的なことはほとんど口にしないし、逆に予見する場合は最悪のケースを例に出します。

ぼくのガンも最初、主治医は「ステージ4、昔なら余命3か月から6か月」と言い切りました。ぼくはその医師の指示通りに入院し、手術を受け、退院してからは大阪の大学病院へ治験治療に向かいました。その医師は日本で肝臓ガン治療で最高の技術を持っていると評判で、彼を知るぼくの親友の外科医も「北さん、それはベスト・チョイスだよ」と当初言いました。

そして事実、ガンの腫瘍マーカーは劇的に落ちてきているのにいつ治療が終了するのかを訊くと「分かりません」

今になってその治験治療が「(抗がん剤の効果が出ている限り)永遠に続く」と言うのです。そこでぼくは自己撞着に陥り「すごく落ち込んだ」わけです。茅ヶ崎から大阪へ通院するには旅費だけで1回、新幹線代とホテル代で2万5,000円はかかります。すでに50万円近くかかったでしょう。これからいつまで続くのか。何度聞いても「抗がん剤の効果がある限り」ず~っと続けると言っています。

児玉隆也が肺ガンに罹った時点から40年以上経って、医療技術は驚くべき進歩をしているのに患者に対してはほとんど同じ対応です。で、患者は戸惑い、死への恐怖が迫るのを実感する。そこが「ガン」という奴のややこしい、難しいところです。そして、以前書いた「黄金のワラ」が蔓延る余地を残しているわけです。

児玉隆也は『寂しき越山会の女王』を書いて有名になりましたが、ぼくは赤紙1枚で戦場へ狩り出されたお百姓やパン屋さんや庭木の職人、床屋さんらの人々を訪ね、戦場へ送られる将兵たちを丁寧に描いた『1銭5厘の横丁』の方が好きです。

ぼくが買った『ガン病棟の~』の古本には「16刷」とあります。売れたのですね。ガンは未だ「解けない方程式」だという事を知り、今は開き直っています。酒も止め、美味しくない食事を無理やり押し込め、時間がくればきちんと抗がん剤を飲み続ける。生きる、死ぬかを堂々巡りしないという覚悟です。

そんなぼくを多くの知人友人は「頑張れ」と声を掛けてくれる。
嬉しいじゃあないですか。ボタンが閉まらず棄てようと思っていたズボンがいま、ぴったり。ずいぶん痩せたなあ。

2018年5月11日金曜日

要覚悟

アメリカから電話をもらいました。LA在の親友のドクターです。
制ガンのプロはぼくの症状をよく知っていて、頑張るしかない、ということ。泣き言は言わない、と決めていたのですが、ガン患者の陥る自己撞着ですね。ぼくに必要なのは覚悟です。弱音は吐かない。

今朝から元気回復。食事も自分でつくり全部食べるようにしています。首回りが苦しくて着ることができなかったシャツがちょうどいいサイズになりました。都内に取材に出かけ早目に自宅に戻りました。

2018年5月10日木曜日

深刻な事態の深刻

今日はかなり悲観的な報告です。9日、定例の診察日。朝から病院へ行き、採血、採尿、血圧測定などが行われ、肝臓医の診察を受けた。主治医が不在で若い医師が代診。前回とまったく同じ内容で進展ナシ。

腫瘍マーカーはさらに落ちているから抗がん剤の効果は明らかにある。しかしいつまでこうした状況が続くのか。ぼくの疑問に医師は「分からないねえ」としか答えない。治療開始から3か月経ったが先行き不明。

グングン不安が広がる。だって毎月2回、大阪へ通院しているのだが、いつまで続けるのかと質問すると医師は「さあ、分かりませんなあ」としか答えない。ぼくの胸の内に暗雲立ち込め大きな疑念が沸き上がる。

まさにガン患者の典型的な”症状”が現れ始めた。罹患以来初めて落ち込んだ。治験を止めれば未だ体内に残っているガン細胞が再び暴れだす。再発の場合、ガン細胞の成長が早いそうだ。「まず年内はもたないだろう、な」と肝臓医は軽く言う。まるで脅迫されているような気分になった。

逃げ込む場所がガン患者にはない。選択肢はまったく無い。死を待つだけ。それはガンが発見された時から変わっていない。否、抗ガン剤を飲んでガン細胞が一部消え、存在するガン細胞も小さくなっているから事態は改善されているのは間違いない。

「多分、何もしなかったら北さん、今頃、生きてはいないよ」と主治医はケロリとして言う。抗ガン治療で改善されているのだからさらに続けてガンが消えるまで頑張ろう、と言われた。

しかし・・・これまで使った経費の累積額もかなり高額になってきた。このまま続ければ兵糧が底をつくのは明らかだ。深刻な事態である。深刻な事態はさらに深刻、深刻。友人の医師も「(抗ガン治療を)続けるしか助かる道はない」と言う。最低でも6か月はかかります。ということは夏まで今の大阪通院を続けるのが唯一の助かる道だという。

考えても考えても妙案はでない。逃げ道が塞がれている。ガン患者が必ず出会う場面である。馬に喰わせるほどどっさり薬をもらって茅ヶ崎へ深夜戻った。もっとも抗がん剤の効果は現れているのは事実で、悲観することは無い、とも思う。

風呂に浸かってしばし黙然。取りあえず夏まで頑張るしかないか。




2018年5月8日火曜日

恵美須町のゲストハウス

浜松で途中下車、ガン・サバイバーの山口雅子さんと会い、1時間ほどガンについて話し合った。やはり経験者の話には迫力がある。説得力も十分だ。彼女は乳ガンと肺ガンを体験した。何しろガンに詳しい。いろいろガンについて相談も受けている。浜松在のジャーナリストだが、今も元気に取材をし原稿を書く。以前、NHKの番組「クローズアップ現代」に出演したことがある。

彼女と別れて浜松から新幹線で新大阪へ直行。地下鉄に乗り換え、淀屋橋で大阪自由大学の講座に顔を出した。スピーカーは元日経記者。大阪生まれ、京都大学卒の大阪通。古くからの大阪の街の成り立ちを経済と人物を絡ませて話した。

大阪は商人の町と言われるが、「学者になった金持」が理想の風土だという。う~ん、よく分らん理屈だけどなんとなく視点がユニーク。聴衆は35人ほど。盛況だった、と幹事役はニコニコ顔。

東京ではなかなか聞けないなあ。講演が終わって自由大学のボランティア幹事らと隣の喫茶店に移った。コーヒーをセルフサービスで取り寄せ、元朝日、元毎日記者らと話し合った。それぞれサムライ的人物ばかり。”自由人”という言葉がぴったりの浪花の連中だ。妙なエリート臭さが無いのが気にいった。

地下鉄堺筋線で恵美須町のゲストハウスに向かう。インターネットで予約した宿は「Funtoco Backpackers Namba」と妙ちくりんな名。フロント係兼部屋への案内係兼経営者は西沢翔太郎という。「Fun(楽しさ)がいっぱいのバックパッカーたちの宿」という意味だそうだ。

1泊2,000円に魅せられた。西沢は29歳、夫婦で経営している。客の9割が外国人。ぼくが話したのはオーストラリア人とドイツ人。言葉は英語。西沢も英語が上手い。近畿大学卒だそうだ。今夜の日本人客はぼくともう一人の若い女性、二人だけだった。

元々、町工場をゲストハウスに改装した。新しいから内部は奇麗。泊まれるベッドは全部で25人分、月平均7割の利用率だという。1ベッド2,000円だから一晩の売り上げは平均35,000円から4万円ほど。月額100~120万円の売り上げになる。初期投資分や減価償却を差し引いても若い夫婦の収入としては決して悪くないと目算した。

大阪だけでこのような外人目当てのゲストハウスが100軒を超えるそうだ。京都はもっと多いという。部屋の掃除とシーツの洗濯、フロントの受付すべて西沢本人がやる。ベッドは上下二段の蚕棚、トイレ、シャワーは共通、宿泊者が自由に使えるキッチンもある。大部屋の居間にテレビはない。

全館禁煙。フロントの後の壁に洋酒が並んでいる。客が利用できる簡易バーというのには笑えた。外国人のバックパッカーたちはこうしたゲストハウスを拠点に1~2週間滞在して京都や高野山や大阪を観光して歩く。

近年、このようなゲストハウスが大阪、京都をはじめ列島中に続々、誕生している。部屋代も安いが経費も掛からない。インターネット時代の特質を考えた若者のニュー・ビジネスと言えるかも。

日本は初めての訪問、という髭面のドイツ人と話したが、「いい国だねえ、ニッポン」といった表情。日本はぼくらの青春時代と比較できないほどすっかり変ってしまったね。貧しさの質が違う。ぼくが馬齢を重ね後期高齢者になるはずだ。

明日は7時起で早朝から病院。検査と点滴。主治医の診察がある。こうした日々がいつまで続くのか。ガン発見から5か月を迎える。多くを学び、抗ガン剤の副作用に十分苦しんだ。

2018年5月7日月曜日

余命3か月のウソ

昨年暮れ肝臓にガンが見つかった時、医師は「ステージ4。昔なら余命3~6か月」と診断された。その時、ぽか~んとした自分。以降、治療を受けるにつれ副作用がきつく、食欲が減退したことはすでに書いた。5か月経ったけどぼくは生きています。

近く首都圏在住の高校の同級会があるのだが、幹事が「北岡君がガンだから彼のスケジュールを優先する」と案内に書き、念の入ったことに「特別メニュー」をオーダーするという。「止めてください!」とぼくは強く抗議した。ガンに効く特別メニューなんてあるはずがない。

昨日6日、今日7日、食べることに最重点を置き、食べ残すことを止めた。これで少しは痩せるのを阻止できるかもしれない、とけなげな気分。
明日は浜松でガン・サバイバーに会います。ガンになって3度目。LAで会ったことがあるのですが、帰国後、ぼくが日大の教員となって、静岡市で現役の記者らを集め勉強会を開いたらそこへ彼女が顔を出した。

少しづつLA時代を思い出し、浜松で会ったら彼女が3度ガンに罹ったことを知った。ご主人もガンで亡くした。なのに彼女はピンピンしている。そこがガンの不思議、面白いところ。彼女からもらった文庫本が凄い。ノーマン・カズンズ著『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)

第二章に「神秘的なプラシーボ」というタイトルがあって、そこを読むと「プラシーボ」という偽薬(何の効用もないニセ薬)の存在が詳しく書かれている。病気になって病院へゆくとプラシーボと本物の製薬とを別々の患者に与えると治った結果は同じ、という研究論文があるそうです。ウソみたいなホントの話。

人間には体内に「医者」がいて、それを呼び覚ますだけで大抵の病気は自分で治すのだそうです。抗がん剤であろうが、偽薬であろうが結果は同じ、というデータの蓄積と分析が学会で発表され、大いに驚かせた。今ではそのプラシーボの研究が進んでいる。

著者・カズンズはアメリカ人ジャーナリストですが、アフリカの占術医の話がめちゃ面白い。中国の漢方医も同じでしょうが、近代医学に比肩する実力がある。このプラシーボの話、いずれ詳しく書くね。ジャーナリストって、けっこうおもしろい商売だよ。

明日は朝が早いからもう寝よっ!

2018年5月6日日曜日

美味いか銀ダラ鍋

大阪通いも4か月半に及びガンもかなり縮小したようです。でも相変わらず食欲がありません。こうした状況がいつまで続くのか先行き不明。お医者さんは「永遠」とか言っています。(冗談じゃなあないよ。オレ、やること、やりたいこといっぱいあるのに…)

この1週間、相変わらず副作用に苦しめられ、最近は抗ガン剤の「副作用」ではなく抗ガン剤の「本作用」ではないか、とさえ思えてくるのでした。そろそろ転換を図りたいのですが、9日の診察で主治医がどう判断されるか。楽しみでもあり不安でもあります。

「ガン」は当初、なかなか見えなかったけどこれだけ経って来ると時々、その正体の一部を捉えることができます。確かに不思議でクレバーな病気です。賢い対応をすればガンは縮小し、バカな対応には暴れまくる。

当初、健康で元気だったのにガン専門の名医にお世話になって以来、体に不具合が起きてきました。これ、医原病?

中でも味覚が失われたことの”恐ろしさ”。食べられない。食べたくない。だから見た目に痩せてきた。鏡を見てギョッとする。これじゃあ生きる望みがないよ。生きている意味がない。この間、多くの友人、知人が見舞いに来てくださいましたが、この「食べたくない」気分は体験者でないとなかなか説明しにくい。

だから無理矢理、食べて吐いた。でもここ2、3日は大丈夫。吐き気が薄まった。

昨5日夜、鍋を思いついた。北海道の昆布でダシを採り、銀ダラとホタテ、豆腐とコンニャク、長ネギ、小松菜やガンモも入れて鍋でぐつぐつ煮ました。結論。
美味しくない。食べられない。多く食べ残した。

今朝起きて昨夜の鍋の残り物を網で漉して、ダシの出たスープだけを沸騰させ、ご飯を入れてさらに炊いた。生卵を混ぜこみ、味付けし、細かく刻んだネギを入れ、最後に昨夜の残り物の豆腐やガンモ、ホタテなどを乗せ、雑炊にして食べた。美味しかった!

明後日、大阪へ行く。浜松駅で途中下車する。ベテランのガン・サバイバーが待っている。彼女がくださった本に大きな衝撃を受けたから。